一無創帖

一つを無にし清き空間を創る

お墓

時々立ち寄る神社のすぐ横にお寺もあり、仏像に仏様がおられるので、お参りしています。




仏像の並ぶ横に、代々の住職のお墓、また向かいに檀家の方々のお墓が立ち並びます。


ご先祖様ではありませんが、お墓にもお参りしています。



お参りしても、お墓に故人はおられるのかいう疑問は、誰にでもあると思います。



お墓におられるというより、誰かがお墓の前に立つと、故人が降りて来られるようです。



お墓から清らかな気が噴き出し、故人がお墓の上の辺りに、ちいさな姿またはあり程度の大きさで立たれます。


薩摩義士のお墓では、上の方に着物姿であぐらをかいた男性があらわれ、同志の方々の成仏されるのを見守っておられました。


ご先祖様のねむるお寺では、お堂の前に祖父が生前と同じ大きさで立ちました。



大きさは空間に合わせているのか、次元が異なるからと思われますが、立っていたり、座っていたり、飛んでいたりします。



未成仏の方は、お墓のてっぺんにちいさな姿で立ち、こちらを眺めていることがあります。


未成仏の場合は、ヨレヨレのお姿のこともあります。



お彼岸やお盆には、お墓全体から地域へ清らかな気が噴き出していることもあり、こちらの世界に戻って来られている、またはあの世とこの世が近くなっているようです。



故人は、日ごろはお墓より位牌、つまりお寺のご本尊や仏壇におられるようです。

留守のこともありますが、お参りをする時には降りて来られています。




時々立ち寄るお寺では、横の囲いからお墓の方へ向いてお参りしています。


お墓の裏からのお参りになりますが、遺族ではないので、中へ立ち入るのはやめています。


日ごろは、シンとしており、誰もいません。



お墓を清め、さらに清まっていただくようお参りをしていますと、ご本尊の方から清らかな気が噴き出し、故人の方々が外へ出て来られていました。


やはり日ごろは、ご本尊の方におられるようです。


お墓も故人とつながれる場所の一つなのでしょう。




位牌のあるお仏壇、ご本尊、お墓は、大切にお守りしていきたいものです。



家にお仏壇のない場合やお寺やお墓が遠くてお参りにいけない場合でも、ご先祖様に手を合わせてお祈りするだけで、ちいさな姿の故人が前に来られています。


この世のシステムの一つで、人は誰でも先祖がおり、つながっているのだと思われます。





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